【最澄(さいちょう)】
平安時代に活躍した僧で、天台宗の開祖が最澄です。最澄は西暦766年近江国に生まれ、俗名を三津首広野(みつのおびとひろの)といい、15歳の時に出家して最澄と名乗るようになりました。若い時に比叡山にこもって修行と経典研究に没頭し、西暦789年に「一乗止観院」という小さな寺院を建立します。この寺は比叡山寺と呼ばれるようになり、最澄の没後に「延暦」という年号をとって「延暦寺」という寺号が使われるようになります。最澄が建立した延暦寺は、平安京の鬼門(北東側)を護る寺社としてその後繁栄の道を歩んでいくのです。
【淀殿(よどどの)】
1569年、近江国の戦国大名・浅井長政の娘として生を受ける幼名は「茶々」。母親は織田信秀の娘・市で、当時は戦国一の美女と謳われたそうです。そんな母の血をひいた淀殿も美しい女性であったと見られ、1588年には天下人となった豊臣秀吉の側室として迎え入れらえました。秀吉の没後は息子・秀頼とともに豊臣家の実権を握り、この世の春を謳歌するが長続きせず、大坂の役で徳川家康に敗北を喫し、大阪城落城の際に自害したといわれています。戦国時代に活躍した、強き女性の代表のような存在です。
【井伊直弼(いいなおすけ)
彦根藩第15代藩主である井伊直弼は、江戸幕府が終焉を迎えようとする幕末期に大老として政治手腕を振るい、日米修好通商条約に調印して、鎖国が続いていた日本の開国を断行しました。改革を推し進めるために強権をもって反対勢力を粛清していきますが、その強引さが反対派の反感を買い、桜田門外の変にて暗殺されてしまいました。政治的能力を発揮した直弼だが、書や剣術・弓術・居合・槍術・柔術などの武術、能楽といった多くの趣味を持っていて、それぞれの分野でも突出した才能を見せたといわれています。